西宮市の各分野で作られている事業計画などにリンクしています。

 

 「平和非核都市宣言」が目指したことは        市民の選択1983年


 活動概要

日  時 平成19(2007)年10月19日(金) 18:30〜20:30
場  所 西宮市役所東館大ホール
テーマ

「平和非核都市宣言」が目指したことは 市民の選択1983
〜国際理解、平和教育を進めてきた活動から学ぶ〜
・「原爆体験を通した平和教育」

・「国際理解、平和教育を進めてきた活動から学ぶ」
講  師

水野喬司 (西宮市原爆被害者の会役員)

      川俣  均 (西宮市秘書・国際課長)
条  件 市内在住、在勤在学者
参加者 31名
内容

第2回目は、西宮市原爆被害者の会の水野氏および市秘書・国際課長の川俣氏を講師に迎え実施された。

・「原爆体験を通した平和教育」
水野氏からは、広島での被爆や神戸での空襲経験から、戦争の悲惨さ、核兵器根絶への願いが語られた。戦後62年目を迎え、戦争や原爆の現実感がなくなってきた現在において、戦争体験者からの声として、平和を考える上での貴重な講演となった。

・「国際理解、平和教育を進めてきた活動から学ぶ」
川俣氏からは、昭和58年の「平和非核都市宣言」を中心に、これまでの市の平和・非核施策の経緯やその概要について、資料やビデオ上映を用いてご講演をいただいた。

      

 参加者感想

■ 戦争を経験された方のお話は、何度拝聴しても悲しく、また、胸が痛む思いがします。
今の日本は幸い平和を享受していますが、それだけに忘れがちな平和の尊さを、学習し、思い出す機会をもっと増やしていかなければならないと思います。 (20代)
■ 平和非核都市を宣言した経過がよくわかりました。 (40代)
■ 水野さんには、今後も子どもたちへ伝えていただきたいと思いました。
平和ボケしているけれどエネルギーの平和的利用は必要だろう震災国に居て放射能もれのないように願いたいものです。 (70代)
■ 戦争を経験していない世代が増える中平和を願う気持ち精神をどう教育していくのかが大事である。 “戦争の悲惨を訴える手だての他にあるとすれば、それは「何か」その「何か」を教えていく必要を感じる。 (40代)
■ 戦争の悲惨さ平和の尊さを改めて感じた。 (50代)
■ 私は原爆体験をしていないので、具体的な被害の状況を聞いて想像以上のひどさにびっくりした。 原爆がよくないのは誰の目にも明らかではあるが、何故世界中にたくさんの原爆があるのか、その説明がなかった。 原爆反対とは言うのは易しいが解決方法を言わなければ、宣言するだけでは片手落ちだろう。(60代)
■ テレビ等では8月15日前後に特集番組が組まれたりするが、時季を問わずこの様な平和を考える機会を作っていただければよいなと思います。(50代)
■ ビデオと水野さんのお話がよくわかってありがたかったです。
質疑応答が充実していて聞いていて参考になりました。(40代)
■ 西宮の観光ボランティアをしています。桜まつり、西宮再発見バスツアーで、夙川短大の前を通る時は、文教住宅都市宣言を、北山緑化植物園の前を通る時は、この中に平和非核都市宣言の碑があることをこれまで背景も知らずにみなさんにお伝えしてきました。そんなことみなさん聞きたくないわよといわれる方もあるのですが、ほんの少しでも頭の中を通りぬけてくれればと思っています。
前回に引き続き今日もありがとうございました。前回注意せずに聞いていたので、インターネットで文教住宅都市宣言の歌を聞きました!前後しますが、平和の語り部水野喬司さんのおはなし、ずっと語り続けてくださいますようお願いいたします。(60代)
■ 広島で原爆を体験した水野さんのお話を聞き核兵器の恐ろしさをあらためて感じました。西宮市は平和非核都市宣言をし、行政として啓発活動をしていることは大変よいことだと思いますが、ただ、世界の中では核兵器を持つ国が増えております。西宮市又は市民としてこのような現状をどのように捉えているのか。世界各国に向けた取組をしていけたらよいのではないかと思います。 (60代)
■ 「平和非核都市宣言」の重みがよくわかりました。戦争は最大の環境破壊ともいわれます。平和と環境をまもるために何ができるか考えていかなければと改めて思いました。 (30代)
■ 不況が長く続き生活が苦しくなった分、国民の右傾化が進み戦争を美化するような動きが加速している。教育としておもいやりの心を育むことが被害を受ける人間のことをおもんばかり加害と被害との関係において戦争というものを考える人間を育てていくことになるのではないだろうか。平和教育、非核思想をはぐくむことの必要性を痛感します。50代)
■ 平和の今の時代は歴史がおりなす過去の出来事の上に積み重ねられた平和。それを知らしめその尊い取組を力強い信条とした生活コミュニティの充実、平和の尊さ、安全で安心な生活を今後も強烈に推進していくべきだと考えました。小さいつながりの環が1歩1歩1つ1つ他に波及する活動が求められる時代と思います。
■ 西宮に住んでいて平和のモニュメントがあることも知らずにいました。
水野さんのお話を聞き市の平和への取組についても、これから新たな気持ちで受け止め接していきたいと思いました。世界の平和のために日本の一都市として、市民が真剣に取り組んでいきたいものです。(40代)
■ 私自身戦争を知らない世代で、小学校の頃学校の宿題で家の人に戦争の体験談を聞く様にいわれ祖母から空襲の話を聞いたのを覚えています。身近な人から聞くと実感をもって心に入ってきましたが私たちの子どもの世代には、間接的にしか伝えることが出来ません。
戦争の悲惨さ、平和の大切さを伝えることの大切さと難しさを感じました。でもぜったい伝えていきたいし、それが大人の責任だと思いました。 (40代)
■ 水野さんの話を聞いて実際に原爆を体験されたご本人のお話はストレートに伝わってきました。政治が右寄りに偏るのを感じるこの時代において、戦争や核兵器のおろかさを伝えていく貴重な「語り部」の役をになっていかれることを願っています。
また、伝えていただいた私たちも。いかに戦争が悲惨な行為なのかを次の世代に伝えていく責任があると感じています。 (40代)
■ 戦争の語りは、原爆の悲惨さを伝えるために重要だと思うが、今回の講座においてこれをするのは、少々今更という感じがした。セミナーの主旨として、ESDを考えるというテーマがあるなら、語り部の高齢化や若者の平和離れという現状の中で、どういった平和教育を展開していくのかを水野さんの語りの経験からみていきたかったなと思う。
■ 若いころに「ヒロシマ」の芝居をした、取材したときのこと、水野さんの話から思いおこされた峠三吉の話は今でも語ることがある。
決してあの日のこと忘れてはいない。原水禁と市の政策が一緒になって平和運動が続いていたことは知らなかった。etc.西宮市がここまで平和に力を入れてきたことを改に認識した。よかったほっとした。しかし、今後もこの歩みを忘れず自分が出来ることからやっていこうと思います。 (60代)
■ 戦争、核、平和を考えることがむずかしくなってきていることを感じます。それを次世代へ伝えていくこともまたむずかしい事。悲惨、現実とともに未来へつながる何かが必要なのかもしれません。過去と現実と未来をいかに考え、そして、伝えるか、この伝えるかがむずかしい。考えれば考える程むずかしいと感じる今日この頃です。 (30代)
■ ありがとうございます。セミナーのタイトルに感動しています。次回を楽しみにしています。 (50代)
 

Copyright(C)2007 西宮ESD All rights reserved.