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 「文教住宅都市宣言」が目指したことは        市民の選択1963年


 活動概要

日  時 平成19年10月16日(火) 18:30〜20:30
場  所 西宮市役所東館大ホール
テーマ 「文教住宅都市宣言」が目指したことは 市民の選択1963
〜西宮の現代史から学ぶ地域社会の変遷と都市宣言の社会的背景〜
講  師 平野 孝(龍谷大学教授、西宮現代史第二巻監修)
条  件 市内在住、在勤在学者
参加者 42名
内容

講師の平野氏は、『西宮現代史』の編著者。自身が編纂された西宮現代史をもとに、昭和30年代後半、石油コンビナート(日石)誘致をめぐって、住民や酒造会社が中心として展開した反対運動の経緯等について講演された。
今回のセミナーでは、現在のまちの姿をつくった当時の市民の運動を知る貴重な機会となった。

 参加者感想

■ 日石誘致をめぐる激動について、経済的大発展を選ばず“自然・住環境”を護った誇りある歴史的ルーツを知る事が出来大変参考になりました。 (40代)
■ コンビナート建設の反対運動が重要だった事がよく判りました。 (70代)
■ 文教住宅都市宣言の背景がよくわかりました。 (40代)
■ なぜS38年に西宮市が文教住宅都市宣言を行ったかの背景が良く分かった。 (50代)
■ 文教住宅都市宣言にいたる経緯がよくわかりました。当時、仕事に追われて無関心だったお返しに地域で何か役に立ちたい。
■ タイトルの文教住宅都市宣言の中身を聞かせてもらおうと思っていた。むしろそれが生まれる背景が中心だった点で多少ズレがあった。しかし、久しぶりに日石誘致の事件を思い出させていただき興味深く聞かせてもらった。 (70代)
■ 「文教住宅都市宣言」の背景の説明があり、海面の埋め立て計画から止まったことから西宮の経済発展が変わったこと等が学習できました。
西宮史にもいろいろな流れがあり現在に至っていることがわかりました。
この西宮を自然豊かな環境を持続可能な社会を目指していきたい。 (60代)
■ 興味深いお話をどうもありがとうございました。テーマがもう少し明確な方がどのような心づもりで聞けばよいのかはっきりしますが・・・・終了時間は守ってほしい。もし延ばすのなら定刻で急ぎの人は出てよいと言ってほしい。 (40代)
■ 私は西宮市へ定住する事10年近くとなるが、文教住宅都市であると言うことを知ったのであるが、今日の公開講座を学ぶと、市そのものの時代のコンダクトの振り方では、国よ振り廻された都市廃墟化する公害の市となるところであったことを知った。つまり国民・市民の生活、文化、教育、経済、福祉、人づくりをそして、少子化の進む中に生活環境を整え人の住みやすい人環境、住環境を今後の時代をつくり出す必要がある。 (60代)
■ 私は西宮市に住んで18年になりますが、西宮市に石油コンビナート誘致問題があったのは今まで全然知らなかったので大変興味があった。今日の西宮があるのは、当時の市民のパワーのたまものだと思われる。今後も西宮市は「文教住宅都市宣言」を守り環境問題を大切に取り組むことが必要と思われる。 (60代)
■ 知らない歴史の話ばかりで非常におもしろかったです。西宮市の住民達の当時の活動はすばらしいと思いました。西宮は良い所だなぁとあらためて思いました。 (40代)
■ 「文教住宅都市宣言」文章面からはこの「宣言」が生まれたいきさつなど見出せない。市行政側と市民、酒造業者と「日石埋め立て計画」をめぐって対立、市民同志の賛否対立を超越して「新しい西宮づくり」による和解と協同を提起したものと考えます。“わざわい転じて福”への方向づけなされた。 (70代)
■ 現代史の歩みを解り易く拝聴致しました。市民と致しまして、尚未来に向けて残さなければならないものを大切に更に地球環境にかんがみて、発展させて行かなければと思われます。その法策と、考えさせられて居ります。 (70代)
■ 大変興味深いお話でした。文教住宅都市宣言がホームページにあげられていても、あたり一遍のもとしかうけとっていませんでしたが、いかに重い熱い思いのこめられたものであるかを知ることができました。本当に感動しました。(それにしても田島市長、こんな見識のない男が市長だったのは情けない)西宮の現代史、読んでみようと思っています。 (50代)
■ 文教住宅都市宣言とは、目標ではなく結果だったのですね。今の西宮の姿が先人の努力によって守られた結果成果だということがよくわかりました。 (40代)
■ 西宮建石、御前浜、香枦園浜、甲子園浜の近くに住んでいた市民の粘り強い運動の末に今日があることに頭の下がる思いです。その中心にいたのは草の根活動としての女性達だったこと。しかし、面積が1/3とはいえ、埋立てられたこと、地続き避けられたことで、当時としては、上出来だとは思います。しかしながら、次のような現状も覚えておくべきだと思います。人口島のまわりに完全には海流が回らず停滞している。夙川河口では流れがほとんどなくヘドロ化が懸念される。私は8月に海に入りスコップを持ち海のドロさらいに参加し水路づくりを行い、水路が海底に出来ると海流ができることは確認しました。また、前に島があり、嵐でも波が出来なくなったため、浜なのに大人でも容易には引っこぬけないほどのブッシュが一面に生えています。浜、砂浜のイメージにそぐわないものとなっています。私は9月に浜の草刈に参加し子ども背たけほどもブッシュ引っこぬきを半日しましたが、浜の景色を変えるには至っておりません。これらの現状とボランティア活動のあることも知っておいてほしいことです。まだまだ終わってはいないのです。続いているのです。そして、引き続き30年以上にもわたって活動している方がいることを。 (50代)
■ 西宮市に過去、このような激動の市民運動があったことは初めて知りました。
企業と行政がスクラムを組んで突き進む中、これを打ち破ったのは市民の声、市民の力。今後の持続可能な社会を目指した施策においても同様のこと、市民一人ひとりの行動があれば必ず良い方向に進むと思いました。質疑応答では、否定的な意見もありましたが、ESDを進めるという観点から、本日のセミナー内容は素晴らしいものであったと私は思います。
(発展的な行動を続けるという意味ですね) (40代)
■ 西宮市の過去について、おおまかに知っていたつもりであったが、詳細には知らなかったので勉強になりました。
それぞれの行間にも色々な想いの集積があったのだろうと思った。  (20代)
■ 昭和35年といえば60年安保の年ですね。日石誘致は私が高校生の時のことです。
父の専門が化学だったことから反対運動に少し加わっていたようで、両親が話しあっていたことの断片が今日のお話を伺って組み合わさっていきました。
西宮市民であることをうれしく思いました。 (60代)
■ 文教都市がどこから出てきたのか正直いってわかってなかったので、今日の話で
よくわかってよかったと思います。 (60代)
■ 平野先生の軽やかな話しぶりで、退屈することなくお話を伺うことができました。
我々若い世代からすれば今日のお話の内容は、概要として知っていたことですが、あらためて詳細に伺うと、感動的であると同時に未来に対する責任を痛感し、身のひきしまる思いです。なるべく多くの若者にこの事実を、なるべくカジュアルで取り付きやすい形で届けることが出来れば市政への関心も上がるのではないでしょうか。 (20代)
■ 市民活動の意義について、深く考えるきっかけになりました。今後の社会状勢、市民活動、行政活動の協働とバランスの大切さを学びました。
■ 現代史には表面もあり裏面もあるが、何らかの成立の過程にある裏面を見た思いですが、現在から見て結果的には良かったかも? (50代)
■ 歴史の内容もさることながらその現代史をほりおこしていく過程がどのようなものであったのかも触れられておりたのしく聞けました。後に明石にコンビナートが誘致された話についてもくわしくお聞きをしたかったです。 (20代)
■ 大学入学で阪神間に引越しをしてきたとき、また、大学での阪神間の沿岸部の研究をした時にも、尼崎と西宮の湾岸部の違いに明暗があり、不思議でしたが、そのために西宮で何があったかをよく知ることができました。市民としては、この歴史をもっと知るべきだし、語りつぐものではないでしょうか。21世紀にも適用する学びがあります。 (40代)
■ 今回の日石誘致の事は以前より知ってはおりましたが、ほとんどの市民(とくに若い方々)が、この事実を知らないですごしてらっしゃることに、不思議な思いがありました。今回私もくわしく知りえたことに感激しております。こういった文化力をもっと小中学生(教育の場)または、市民に知らせることが大切だと思います。私個人においても歴史をもう少しくわしく勉強し現在、未来を考えていきたいと思いました。それなくしては、ESDは語れない。 (50代)
■ 石油コンビナートの話について、初めて詳しく聞きました。とても勉強になりました。歴史といえば昔々という話と思いがちですが、ほんの50年前の意外と目をむけない近い昔の歴史は社会で生きていく上で実は一番重要なのかもしれないと思いました。 (30代)
 

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